二柱の夫婦神を祀るが当初の祭神は不詳ですが、饒速日命との説もあります。
社伝によると神武天皇東征の折、日下坂(くさえざか)の戦いに利在らず、船で回航したときに風浪強く、梶が折れて船が漂着した小丘に祖神を祀ったのが起源だといいます。
縄文時代前期には河内は生駒山麓まで入り込んだ内湾でありました。
神武天皇上陸地は現在の下六万寺町3丁目付近の、「梶無」の小字名の残る地であるという伝承・風説があります。
大阪、生駒山の西麓には、古くから「東高野・ひがしこうや」と呼ばれる街道が走り、その沿道には、石器、縄文、弥生、古墳時代と太古から続く人々の営みの跡が残っております。
この古く河内国と呼ばれる地域には、いわゆる由緒ある神社「延喜式内社」に載せられたものが113座もあり、千年以上経た今も、その殆どが連綿として残っております。
境内には大きな楠があり、アオバズクの繁殖地として市の天然記念物に指定されております。
境内社に、桜井神社(大己貴命)、春日神社(天津児屋根命・比売命・経津主命・武甕槌命)、白峯神社(崇徳天皇)、八幡神社(誉田別尊)、十二社権現社(堂の宮)があります。